名古屋高等裁判所金沢支部 平成3年(う)18号 判決 1991年7月18日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年六月に処する。
原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人内山弘道名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用するが、論旨は、要するに、原判決は、判示第三の一において、被告人がAの手提げバックを窃取して普通貨物自動車に乗って逃走しようとしたとき、右Aがその車の前に立ちはだかっているのに自動車を前進させた行為を事後強盗罪の暴行に該当すると認めているが、被告人の右所為は、被害者の反抗を抑圧しようとする積極的な攻撃意思に出たものでなく具体的に危険性もなかった場合であるから、事後強盗罪の暴行には当たらないのに、同罪の成立を認めた原判決は法令の解釈適用を誤ったものであって、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
所論の検討に先立ち、まず記録によれば、本件控訴趣意に関連する原判決の事実認定及び法令の解釈適用について次の事実が明らかである。
すなわち、所論が取り上げている原判示第三の一に対応する公訴事実は、「被告人は、平成二年八月一日午前八時五〇分ころ、富山県魚津市中央通り一丁目六番一号付近道路上において、同所で信号待ちをしていたA(当時六四年)の自転車の前籠から現金二万四〇〇〇円等が在中していた手提げバック一個を窃取し、その際、これに気付いた同人から左手を掴まれるや、その取還をふせぎかつ逮捕を免れるため、同人の腕を引っ張って付近路上に転倒させたうえ、普通貨物自動車に乗り込んでこれを発進させて逃走するに当たって、同車両の前に立ちはだかった同人に同車両を衝突させて同人を付近路上に転倒させる暴行を加え、よって、同人に対し、加療三週間を要する外傷性頸部症候群等の傷害を負わせた」として、強盗(事後強盗)致傷の訴因による罪責を問うものであったところ、原判決は、右公訴事実中、被告人が窃取行為に及んだ直後に被害者から左手を掴まれた際、これを振りほどこうとして同人の腕を強く引っ張って同人を路上に転倒させた行為(以下「第一の暴行」という。)と、それに引き続いて自動車に乗り込んで発進逃走しようとする被告人の車の前に立ちはだかってこれを阻止しようとした被害者に対して車を前進させた行為(以下「第二の暴行」という。)の両暴行につき、判示傷害の結果が、その両暴行のいずれかもしくは双方によって生じたものに違いないとしながら、それぞれの暴行の傷害への寄与の有無、程度は証拠上不明であるとしたうえ、更に、第二の暴行はいわゆる事後強盗罪における、相手の反抗や財物の奪還意思を抑圧するに足る程度の暴行に該当するが、第一の暴行はいまだその程度に達していたとは評価できないから、その時点で事後強盗罪の実行着手があったとはいえないとし、結局において、被告人は本件窃取行為後、被害者から逮捕されあるいは財物が取還されるのをふせぐため、それらの意思を抑圧するに十分な第二の暴行を被害者に加えたという限りで原判示第三の一の事後強盗罪の成立を認め、強盗致傷罪については、その傷害が第二の暴行の結果生じたことが立証できないということでその成立を否定し、他方、第一の暴行は右事後強盗とは無関係な行為としながらも、第一及び第二の両暴行以外に成傷原因が考えられない右傷害を被告人に全く帰責できないとするのは合理的でないとし、この場合被告人の利益にの鉄則に従い、その傷害の結果は全部第一の暴行によって生じたものと認めるのを相当とするとの見解のもと、原判示第三の二の傷害罪の成立を認め、最終的に右両罪は併合罪の関係にあるものとして各別に認定判示しているのである。
ところで、本件控訴趣意中で所論が法令の適用解釈について誤りがあると主張しているのは原判示第三の一の事実についてではあるが、その主張を前記公訴事実と原判決の認定との対応関係でみると、原判示第三の二の事実の認定及び法令の適用解釈とは表裏一体の関係にあるものであり、所論の当否をいうためには、原判示第三の二の事実つまり第一の暴行の内容についても考察を加えざるを得ないものである。
(もともと、原判示第三の一、二の各事実は、強盗致傷罪として一つの公訴事実で起訴されたものを、原判決がそれぞれ別個独立の事実として併合罪の認定をしたものであるが、所論が取り上げる第二の暴行の態様、程度を検討するに当たっては、それに先行する第一の暴行との関わりを確かめる必要があり、それが控訴理由として直接不服の対象として挙げられていなくとも、当事者の攻防から除外されるものではない。)
そこで所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原判決が挙示する関係各証拠によって認められる事実関係に基づけば、原判示第三の二に掲記する第一の暴行は、いまだ事後強盗罪の構成要件が予定する暴行の実質まで具備していないとする原判決の判断は首肯するに足るものであるとともに、原判示第三の一における第二の暴行が、事後強盗罪の暴行に該当するということも優に認定できるのであって、原判決がこの点に関し「事実認定の補足説明」三の1において説示するところは、当裁判所としても是認できるものである。
すなわち、本件窃取行為及びこれに関連する第一及び第二の各暴行の態様や程度等は、原判決が同補足説明二の1ないし4にも摘記するとおりであって、前掲関係各証拠によれば、被告人は、普通貨物自動車を運転走行中、前記公訴事実記載の日時、場所において、おりから自転車を停めて信号待ちをしていたAを見かけるや、その前籠の中に入れてある手提げバックを盗もうと考え、自車をその後方約三メートルに停止させて下車し、片足を地面につけて自転車に跨がっていたAの後ろから近づき、「おじいちゃん」と声をかけるなり、右手で自転車の前籠からその手提げバック(現金二万四〇〇〇円等在中)を掴み取り、そのまま体を右に反転させて自車に戻ろうとしたところ、Aから被告人の左手首を掴まれたため、これを振りほどこうとして掴まれた左手を強く手前に引っ張ると、安定を失ったAがその場の路上に自転車ごと倒れたこと、被告人はすぐに自車に戻って運転席に乗り込んで逃走しようとしたが、起き上がって来たAは、その自動車の前に立ちはだかり、フロントガラスを両手で押さえて被告人の逃走を防ごうとするとともに、「こら、カバンを返せ」などと大声で怒鳴って被害品を取り戻そうとしたこと、被告人は、一刻も早くその場を立ち去るべく、構わず車を発進させ、右にハンドルを切りながら少しずつ前進して行ったため、Aも両手をフロントガラスに置いたまま五、六歩後退したが、前進を続ける車の力に危険を感じた同人が助手席側に体をかわして避けようとした際、自動車がその体の一部に接触したか、バランスを崩したかしてその場に転倒し、被告人は車の速度を早めてそこから逃走したこと、Aは、右状況のもと二度にわたって転倒したことにより前記公訴事実記載どおりの加療約三週間を要する外傷性頸部症候群等の傷害を負ったが、その傷害の結果は、二度の転倒のどちらがどの程度に寄与したのかは不明であること等が認定されるのである。
そして、以上の認定事実に基づいて案ずるのに、本件における被告人の二度にわたっての暴行は、いずれも、前記Aの自転車の前籠から手提げバックを窃取した直後、被告人の逃走をふせいでそのバックを取り戻そうとしたAに向けられた一連の加害行為であり、同人の受傷も、それら暴行による転倒のどちらか、もしくは双方に起因することまでは明らかであるけれども、被告人が窃取行為直後にAから左手を掴まれた際、これを振りほどこうとして自分の手を強く引っ張って同人を自転車もろとも路上に転倒させたという第一の暴行については、被告人の方で同人の手や体を掴んでことさらに引き倒したといったものではなく、被告人が掴まれた自分の手をとっさに強く引いたため、自転車に跨がって不安定な姿勢のまま被告人の手首を掴んで離さなかったAが思わず引っ張られる形になりバランスを失って転倒したという態様のものであって、そこでの被告人の暴行というのは、Aを自転車ごと転倒させるという結果を予測する間もない、反射的かつ瞬間的な行為にとどまり、その加害意思は極めて薄弱であると見られる以上、この段階でのこの程度の第一の暴行が、事後強盗罪が予定している相手の反抗を抑圧するに足るものに該当しないとした原判決の評価は正当であり、その暴行の時点では事後強盗罪における暴行の実行着手はないとした判断も支持することができる。
これに対し所論は、第二の暴行も同様に事後強盗罪の構成要件としての実質がない旨主張するのであるが、前記認定事実に徴すれば、これを第一の暴行の場合と同日に談ずることはできない。
第二の暴行の場合は、第一のそれのように思わず取ったとっさの反応といったものではなく、被告人が乗り込んだ自動車の運転席の目の前に被害者が立ちふさがり、そのフロントガラスを両手で押さえて車が発進して逃走するのをふせごうとしているのが歴然としている状況下で、あえて車を前進させて財物の取還を求める被害者に圧力をかけ、ついには危険を感じて避譲しようとした同人をその場に転倒させてしまったが、被告人はこれに構わず加速して逃げ去ったという経緯が認められるのであって、このように自動車の前部直前に接着した地点に人がいるのを知りながら、そのまま発車して前進を続けるという行為が、その相手の生命、身体に具体的に重大な危険を及ぼしかねない有形力の行使であることはいうまでもなく、所論がいうように、その際の車の速度が歩行速度程度の低速だったとしても、なお、その危険性は決して僅少のものとはいえないのであって、これが被害者の財物取還や反抗の意思を抑圧するに足る積極的な加害行為であり、事後強盗罪の暴行としての実質を備えるものとみることに何の支障があるわけでない。
本件における第二の暴行には積極性が欠けているなどと主張して事後強盗罪での構成要件該当性を否定する所論は失当であり、この限りでの論旨は理由がない。
しかしながら、更に職権をもって調査するに、原判決は、第一及び第二の各暴行の前記評価に加え、その際被害者に負わせた傷害は、その各暴行のどちらかもしくは双方に起因して生じたものとはいえても、それぞれの結果発生についての寄与の有無、程度は証拠上確定することができないという事情を前提にして、結局は、強盗致傷の訴因による公訴事実について、第二の暴行と結びつく原判示第三の一の事後強盗罪と、第一の暴行の結果生じたものとする原判示第三の二の傷害罪とが各別に併合罪の関係で成立すると認定判示していることは先にも述べたとおりであるが、そのような判断には問題があり、直ちに正当として受け入れるわけにはいかない。
すなわち、原判決が、本件窃取行為後被告人が最初に被害者に加えた第一の暴行については、いまだ事後強盗罪の構成要素たる実質を備えないものとみて、その段階での同罪の実行着手はないものとし、第二の暴行との関係でのみ同罪の成立を認めたことは正しく、また、強盗致傷の成否は、被害者のその際の受傷が第二の暴行によった可能性こそあっても、これが否定される場合も予想される以上、被告人にその罪責まで問うことはできないとする結論も当然のことではあるが、一方で、本件公訴事実における傷害は被告人の行為である第一及び第二の両暴行の競合の結果であることが明らかであるのに、その一切を被告人に帰責できないというのは不合理であるとの見解のもと、第二の暴行との関係での強盗致傷罪の成立は否定する代わりに、その傷害のすべては第一の暴行によって発生したものと解するのが相当として原判示第三の二の傷害罪を認定し、これを事後強盗罪との併合罪としているのは、その理論的根拠が薄弱であって納得することはできない。
要するに、原判示第三の二の傷害罪というのは、そこに判示している第一の暴行によって生じたとは限らない傷害の結果をも擬制的に包摂した犯罪事実を認定していることになるわけであるが、これが被告人について強盗致傷罪を認定しないこととの関連で、疑わしきは被告人の利益にという鉄則に従った解釈であるかのようにいう原判決の説示部分は、いまだその根拠を理論的に説明しているとはいえない。
前述のとおり、被告人について強盗致傷の罪責まで負わせることができないのは、第二の暴行による傷害を証拠上特定できない以上やむを得ないところであって、そのため被告人が特別に利益を受けるものではない。
原判決は、傷害の結果が被告人による二個の暴行の競合以外に原因がないような場合、被告人に一切責任が問えない形になるのは合理的でないというのであるが、右二個の暴行が全く日時、場所を異にしているような事例を想定すれば、その一方の暴行によって生じたかも知れない傷害の結果を他方の暴行の結果と擬制することが許されるとは考えられないのであって、同時傷害の規定のような実定法上の根拠でもない限り、それは立証上の制約として受け止めざるを得ないものであろう。
ところが本件における事実関係を更に考察してみると、第一と第二の各暴行は、事後強盗罪の構成要件に該当する程度のものかどうかについてはそれぞれの評価を異にするが、互いに別個無縁のものでないばかりか、ともに本件窃取行為の直後、被害者からの財物の取還をふせぎかつ逃走を図るため被害者に対して行った一連の犯行であり、暴行の点に限っていえば、逆に両暴行は前後一体のものとして観察されるのであるから、本件傷害にそれぞれの暴行のどちらがどの程度に寄与したかまでは不明だとしても、全体的には両暴行を原因としてその傷害が発生したことに間違いがない以上、本件傷害は、不可分的に一連の両暴行に起因して生じた単純傷害とする限度で認定することができる(原判決のように暴行との因果関係について擬制的認定をするわけではない。)と同時に、第二の暴行とのみ結合する事後強盗罪の成立も認められるのであって、その両者の関係は、暴行途中で強盗の犯意を生じてそのまま暴行を継続し、その一連の暴行によって相手に傷害を負わせたが、その傷害が、犯意を生じた時期の前後いずれの暴行によったのかが不明である場合とほぼ同視してよいものと考えられ(仙台高判昭和三四年二月二六日・高刑集一二巻二号七七頁参照)、結局、全体的に観察して、前記のような前後一連の暴行に起因する単純傷害罪と第二の暴行による事後強盗罪とが混合した包括一罪が成立するものと解され、その処断は重い事後強盗罪の刑に従うべきものとするのが相当である。
これに反し、原判決は、前示のような見解と判断の下に、原判示第三の一、二のとおり、事後強盗罪と単純傷害罪を併合罪関係に立つものとして認定するのであるが、これは、第一と第二の各暴行が、事後強盗罪の構成要件該当性の評価を離れて観察する限り、前後一体のものとする視点に立たない独自の考え方によったものと推察され、是認することはできない。
以上のとおり、本件公訴事実につき、前記のように事後強盗と傷害の併合罪を認定した原判決は、法令の解釈適用を誤ったものといわざるを得ず、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、その他の事実と併合審理のうえ一個の処断をしている原判決は、その全部について破棄を免れないものである。
(なお、原判決の作成日付をみると、平成二年二月一二日とあって、これは記録によって認められる弁論終結の日より前の日であることが明らかであるが、判決原本冒頭の判決宣告日の記載や公判期日(宣告日を含む)との対比でみれば、右は明らかに誤記に基づくものとみられ、ことさら破棄事由として取り上げるに足る瑕疵とはいえない。)
よって、刑訴法三九二条、三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に次のとおり判決する。
(罪となるべき事実及び証拠の標目)
原判示第三の一、二の各事実を全部削除し、これに代わる第三の事実として「同年八月一日午前八時五〇分ころ、富山県魚津市中央通り一丁目六番一号付近路上において、信号待ちをしていたA(当時六四歳)の自転車の前籠から現金二万四〇〇〇円及び小銭入れ等五点(時価合計約二万三〇五〇円相当)在中の手提げバック一個(時価約三〇〇〇円相当)を窃取した際、これに気付いたAに左手首を掴まれるや、これを振りほどこうとして自分の左手を強く引いたため、自転車に跨がっていた同人の安定を失わせて付近路上に転倒させる暴行を加え、更に引き続き、被告人がすぐ近くの路上に停めていた普通貨物自動車に乗り込んでこれを発進させて逃走しようとしているところへ、起き上がってきたAが同車両の直前部に立ちふさがり、フロントガラスを両手で押さえてこれを阻止しようとしているのを知りながら、右財物の取還をふせぎかつ逮捕を免れるため、あえて同人に向かって同車両を発進して前進させ再び路上に転倒させる暴行を加え、その際、前後一連の暴行によりAに対して加療約三週間を要する外傷性頸部症候群等の傷害を負わせたが、これら傷害は、右の前後いずれの暴行に起因するものかその寄与の程度は明らかでないものである。(八月二二日付け第二)」と挿入するほかは、すべて原判決が摘示する事実と同じであるから、これを引用する。
右判示第三の事実に対する証拠は、原判示第三の一、二に挙示されているものと同じであるから、これらを引用する。
(確定裁判)
原判示のとおりであるから、これを引用する。
(法令の適用)
被告人の原判示第一の各所為はいずれも刑法六〇条、二三五条に、原判示第二の所為は同法二三五条に、判示第三の所為中、事後強盗の点(第二の暴行との関連で)は同法二三八条、二三六条一項に、傷害の点は、行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二〇四条、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法二〇四条に、原判示第四の所為は毒物及び劇物取締法二四条の三、三条の三、同法施行令三二条の二にそれぞれ該当するが、判示第三の罪は、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法によることとし、また、同罪は、前述のとおり傷害と事後強盗が混合した包括一罪と認めるべきものであるから、同法一〇条により重い事後強盗の罪の刑により処断すべきものであり、判示第三及び原判示第四の罪については所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあった罪とは同法四五条後段の併合罪の関係にあるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない各罪について更に処断することとし、なお、右の各罪はまた同法四五条前段の併合罪でもあるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第三の事後強盗罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をしたのち、本件の犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽した刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 濱田武律 裁判官 秋武憲一 田中敦)